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11月23日の勤労感謝の日は、カレンダーではおなじみの祝日です。けれども「なぜ11月23日なのか」「新嘗祭(にいなめさい)とどう関係しているのか」と聞かれると、はっきり答えられない人も多いのではないでしょうか。
X(旧Twitter)では、勤労感謝の日は新嘗祭に由来し、欧米のサンクスギビングのような収穫感謝の日だと紹介する投稿(Xの投稿)や、神社で新嘗祭や勤労感謝にちなんだ御朱印を受けたという投稿が見られました(Xの投稿)。由来を知ると、この日の見え方が少し変わるようです。
この記事では、新嘗祭と勤労感謝の日の関係を順に紹介します。情報は2026年10月時点のものです。
勤労感謝の日と新嘗祭はどんな関係?
最初に、多くの人が気になる「勤労感謝の日と新嘗祭はどうつながっているのか」という点から確認します。ひと言でいえば、同じ11月23日という日付を受け継いだ関係です。
11月23日はもともと新嘗祭の休日
内閣府の「国民の祝日」のページでは、勤労感謝の日について「祝日法の制定前、11月23日は祭日の『新嘗祭』として休日とされており、国民の生活の中でも、新穀に感謝する日でした」と説明しています。つまり、勤労感謝の日ができる前から、11月23日は国全体の休日だったわけです。
戦前の休日を定めていたのは、昭和2年勅令第25号でした。内閣府の「祝日法制定の経緯」によると、この勅令では、皇室の祭典が行われる日である「祭日」と、国や国民一般の恒例の祝い日である「祝日」のうち、合わせて11の日が休日とされていました。祭日として休日になっていたのは、元始祭(1月3日)、春季皇霊祭(春分日)、神武天皇祭(4月3日)、秋季皇霊祭(秋分日)、神嘗祭(10月17日)、新嘗祭(11月23日)、大正天皇祭(12月25日)の7つです。
祝日として休日になっていたのは、新年宴会(1月5日)、紀元節(2月11日)、天長節(4月29日)、明治節(11月3日)の4つでした。こうして並べてみると、11月23日の新嘗祭は、戦前の11の休日のうちの1つとして暮らしの中に組み込まれていたことがわかります。
11月の休日に注目すると、当時は3日の明治節と23日の新嘗祭の2日がありました。どちらの日付も戦後の祝日法に引き継がれ、11月3日は文化の日、11月23日は勤労感謝の日になっています。11月に祝日が2つある今のカレンダーの形は、戦前の休日の日付をそのまま受け継いだ結果だといえるでしょう。
戦後、この勅令に代わって、昭和23年(1948年)に「国民の祝日に関する法律」(祝日法)が作られました。このとき、11月23日は「勤労感謝の日」という新しい名前の祝日になります。祝日法で定められた趣旨は「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」というものです。
この法律は昭和23年法律第178号で、第2条に国民の祝日の名前と日付、それぞれの趣旨が並べて書かれています。勤労感謝の日もその中の1つとして「十一月二十三日」と明記されており、日付が法律で決まっている祝日です。
日付はそのまま、名前と趣旨が新しくなったというのが、勤労感謝の日と新嘗祭の関係の基本になります。宮中では今も11月23日に新嘗祭が行われていますので、祝日としての勤労感謝の日と、皇室の祭典としての新嘗祭が、同じ日に並んでいるかたちです。
「新穀感謝の日」という案もあった
内閣府の説明で興味深いのは、祝日法を作る段階で、11月23日を「新穀祭」や「新穀感謝の日」とする提案もあったと書かれている点です。収穫された新しい穀物に感謝するという、新嘗祭に近い名前が候補に挙がっていたことになります。
当時の政府は、祝日を選び直すにあたって新聞やラジオで広く意見を求め、昭和23年1月には「祝祭日に関する世論調査」も行っていました。内閣府の「祝日法制定の経緯」によると、その結果は国会に報告されています。11月23日の名前も、こうした手続きを経たうえで決められたものです。
最終的に選ばれた名前は「勤労感謝の日」でした。内閣府は、この祝日について「いにしえからの収穫感謝の風習を生かしつつ、感謝の日として新たに設けられたといえます」とまとめています。新嘗祭をそのまま引き継いだのではなく、収穫への感謝という古くからの習わしを土台にしながら、新しい意味を持つ日として作られたという位置づけです。
では、名前に入った「感謝」とは、誰が誰に感謝するという意味なのでしょうか。内閣府のページは、当時の参議院文化委員会の「祝祭日の改正に関する調査報告書」(昭和23年7月3日)を引用しています。そこでは「国民が毎日生活を続けていられるのは、お互いがお互いを助け合っているからである」と書かれています。
報告書はさらに、ここでいう感謝とは「すべての人がすべての生産とすべての働きとに感謝し合うのでなければならない」と続けていました。働いている人だけに感謝する日、あるいは働く人が感謝される日というより、社会の中で支え合っている全員が、互いの働きに感謝し合う日として考えられていたことがわかります。
ちなみに、内閣府のページでは祝日の趣旨を「勤労をたっとび」と表記している一方、法律の条文の引用では「勤労をたつとび」と書かれています。昭和23年当時の表記で、意味はどちらも「勤労を尊ぶ」です。働くことを大切なものとして敬う気持ちが、この祝日の最初に置かれています。
同じ報告書には、この感謝の心持ちは「今日のような世相のけわしい時には最も必要なものであるが、世の中が落ち着いた時にも常に大切なものである」という一文も見られました。戦後まもない時期に書かれた言葉ですが、祝日の趣旨が一時的なものではなく、いつの時代にも通じるものとして考えられていたことが読み取れます。
新嘗祭とはどんな祭り?
勤労感謝の日の土台になった新嘗祭とは、そもそもどのような祭りなのでしょうか。宮内庁や伊勢神宮の公式情報をもとに、その中身を見ていきます。
新穀を供えて自らも食べる祭典
宮内庁の「主要祭儀一覧」では、11月23日の新嘗祭について「天皇陛下が、神嘉殿において新穀を皇祖はじめ神々にお供えになって、神恩を感謝された後、陛下自らもお召し上がりになる祭典」と説明しています。さらに「宮中恒例祭典の中の最も重要なもの」とも書かれていました。
ここで大切なのは、新しい穀物を神々に供えるだけで終わらず、天皇陛下自らもそれを食べるという点です。神と同じものを口にして恵みに感謝する点に、新嘗祭の大きな特徴があるといえます。
名前の意味については、伊勢神宮の公式サイトの説明がわかりやすいでしょう。それによると、新嘗祭は「しんじょうさい」とも読み、「新」は新穀を、「嘗」はお召し上がりいただくことを意味するとされています。収穫された新穀を神に奉って恵みに感謝し、国家の安泰と国民の繁栄を祈る祭りです。
伊勢神宮は、春の祈年祭(きねんさい)と秋の新嘗祭を対になる祭りとして紹介していました。春に豊作を祈り、秋に収穫を感謝するという稲作の一年の流れに沿った祭りだということです。祈年祭は「としごいのまつり」とも呼ばれ、「とし」は稲の美称だと説明されています。
宮内庁の主要祭儀一覧でも、2月17日の祈年祭は「三殿で行われる年穀豊穣祈願の祭典」とされていて、11月の新嘗祭と対になっていることが読み取れます。伊勢神宮によれば、平安時代の『延喜神名式』には、祈年祭で神宮をはじめ全国2,861社の神々に幣帛(へいはく)が奉られていたと記されているそうです。春の祈りと秋の感謝は、古くから国の規模で行われてきた祭りでした。
新嘗祭の歴史はたいへん古く、宮内庁が令和元年に公表した資料「大嘗祭について」によると、古事記(712年に撰進)や日本書紀(720年に撰進)に、皇祖天照大神や上古の天皇が新嘗の祭を行ったという記述が見られます。資料は、その起源がこれらの歴史書が編纂された奈良時代以前までさかのぼると述べていました。
同じ資料は、8世紀前半に完成した常陸国風土記に引かれた説話や、8世紀半ば過ぎに編纂された万葉集の歌からも、新嘗の祭が社会に古くから伝えられてきたことは明らかだとしています。皇室だけの行事ではなく、人々の暮らしの中にも収穫を祝う祭りが根づいていたことがうかがえます。
國學院大學デジタルミュージアムの解説は、江戸時代の国学者・本居宣長が『古事記伝』で、新嘗を新穀を神に供えて「新たに饗する」祭りと解釈したことも紹介していました。日本書紀には、天照大御神が新嘗を行ったという神代の記述のほか、仁徳天皇40年の条に新嘗の月の宴の話が出てくるとも書かれています。
夕と暁の2回行われる宮中の儀
宮中の新嘗祭は、皇居の神嘉殿(しんかでん)が舞台です。國學院大學デジタルミュージアムの神道事典の解説(英語版)によると、儀式は夕方と暁(夜明け前)の2回行われ、天皇が天照大御神と天神地祇(すべての神々)に神饌(しんせん)を供えるとされています。
同じ解説によれば、神嘉殿の中には、神のための座と天皇のための座の2つが設けられます。天皇は新穀から作った酒や粥、蒸した米などを柏の葉を編んだ器に盛り、自らの手で神に供えるのだそうです。夕方の儀が終わった後は、身を清めて衣を改め、暁の儀に臨むという流れです。
供え物を置くための敷物として、特別な薦(こも)が用いられるとも解説されていました。神と天皇がそれぞれの座に着き、同じ新穀を供えていただくという形は、前の項で見た「供えて自らも食べる」という新嘗祭の中心を、儀式の形で表したものといえます。
神嘉殿は、新嘗祭のほかにもいくつかの宮中祭祀の場になっています。宮内庁の主要祭儀一覧によると、1月1日の四方拝は天皇陛下が神嘉殿の南庭で伊勢の神宮や四方の神々を遙拝される行事です。6月30日と12月31日の大祓も、神嘉殿の前で皇族をはじめ国民のために行われるお祓いとして紹介されていました。
1908年(明治41年)の皇室祭祀令では、新嘗祭は大祭の1つに位置づけられ、11月23日から24日にかけて行われるものとされていたと解説されています。夕方から始まり、日付が変わる頃に暁の儀が行われるため、2日にまたがる祭りとして定められていたわけです。
一方で、宮内庁の主要祭儀一覧を見ると、新嘗祭は1年を通して行われる多くの祭祀の中の1つであることもわかります。たとえば10月17日には、賢所に新穀を供える神恩感謝の神嘗祭(かんなめさい)があり、この朝に天皇陛下は神嘉殿で伊勢の神宮を遙拝されると書かれていました。
名前がよく似ていますが、10月の神嘗祭は伊勢神宮に新穀を奉る祭りで、11月の新嘗祭は天皇陛下が神々に新穀を供えて自らも召し上がる祭りです。国立天文台暦計算室の解説でも、2つはともに収穫祭の意味合いを持つ祭日で、前者は伊勢神宮の、後者は天皇家の祭日だと整理されています。
国立天文台によると、神嘗祭も明治6年の改暦後はいったん太陽暦の9月17日とされましたが、旧暦との約1か月のずれを考えて、明治12年に10月17日へ改められたといいます。新嘗祭が11月23日、神嘗祭が10月17日という現在の日付は、どちらも明治の改暦をきっかけに決まったものです。
陛下が育てた稲も供えられる
宮内庁の主要祭儀一覧には、新嘗祭について「天皇陛下自らご栽培になった新穀もお供えになる」と書かれています。新嘗祭で供えられる新穀の中には、天皇陛下ご自身が育てた稲も含まれているということです。
宮内庁のウェブサイトでは、天皇陛下の主な日程として、皇居内の生物学研究所での「お田植え」や「お稲刈り」が毎年紹介されています。たとえば令和7年は、5月にお田植え、9月9日にお稲刈りが行われたと掲載されていました。春に田植えをして秋に刈り取った稲が、11月の新嘗祭につながっていく流れです。
2026年(令和8年)も、日本テレビの報道によると、天皇陛下は9月8日に皇居の水田で稲刈りをされました。刈り取られたのは、うるち米の「ニホンマサリ」ともち米の「マンゲツモチ」の合わせて20株です。稲は陛下自ら4月に種もみをまき、5月に田植えをされたもので、作柄は平年通りだと伝えられていました。
同じ報道によれば、収穫された稲は宮中祭祀の新嘗祭などに使われ、ほかに根付きの稲が伊勢神宮に送られる予定とされています。皇居での稲作は昭和天皇が始め、上皇さま、天皇陛下へと引き継がれてきたものだということです。
伊勢神宮の公式サイトでも、新嘗祭のページに「神宮神田で収穫された新穀」の写真が掲げられています。神宮では、神々に供える御料を清浄に自給自足していると紹介されており、宮中と神宮のどちらでも、自ら育てた稲を供えることが大切にされているのです。
伊勢神宮の公式サイトも、宮中では天皇陛下が自ら育てた新穀を奉るとともに、自らもその新穀を召し上がると説明しています。あわせて、収穫感謝の祭りが11月下旬に行われるのは、全国各地で収穫が終わる時期に天皇陛下自らが祭りを行ったためと考えられている、とも書かれていました。
稲作の暦に照らしてみると、田植えから稲刈り、そして新嘗祭までが一続きになっていることがわかります。春の祈年祭で豊作を祈り、夏に稲を育て、秋に収穫し、最後に新嘗祭で感謝するという1年の流れが、宮中の祭祀の中にも組み込まれているのです。
日本各地の農家にとっても、11月下旬は1年の米作りがひと区切りつく時期です。新嘗祭が稲の収穫を締めくくる祭りとして位置づけられていることを知ると、勤労感謝の日に新米を味わうことにも、少し違った意味を感じられるかもしれません。
なぜ11月23日?大嘗祭との違いは?
新嘗祭がなぜ11月23日に行われるのか、そして天皇の即位の際に行われる大嘗祭(だいじょうさい)とは何が違うのか。日付と儀式の2つの面から確認します。
卯の日から11月23日に固定された
新嘗祭は、もともと決まった日付の祭りではありませんでした。国立天文台暦計算室の解説によると、新嘗祭は本来、太陰太陽暦(旧暦)の十一月の2回目の卯(う)の日に行われていたといいます。十二支の卯が巡ってくる日に合わせていたため、年によって日付が動いていたわけです。
日付が固定されたきっかけは、明治時代の改暦でした。日本は明治6年(1873年)から太陽暦を採用します。国立天文台の解説によれば、明治6年に旧暦の十一月2回目の卯の日にあたる日は、太陽暦では翌明治7年の1月10日になってしまうため、明治6年の暦には新嘗祭が載っていなかったそうです。
そこで、明治6年7月20日の第258号布告によって、太陽暦の11月の2回目の卯の日、つまり明治6年11月23日が新嘗祭の日として採用されました。それ以降、新嘗祭は11月23日に固定されたと国立天文台は説明しています。
試しに、明治6年と同じ「太陽暦の11月の2回目の卯の日」という数え方を2026年に当てはめてみると、11月の卯の日は1日、13日、25日の3回で、2回目は13日です。もし日付を固定せずに卯の日で数え続けていたら、祭りの日は毎年変わっていたことになります。11月23日に固定されたことで、毎年同じ日に新嘗祭が行われ、それが祝日にもつながったのです。
同じ年の10月14日には、第344号布告で祝祭日などの休日が定められ、その中に「新嘗祭 11月23日」が含まれていました。このとき一緒に挙げられていたのは、元始祭、新年宴会、孝明天皇祭、紀元節、神武天皇祭、神嘗祭、天長節です。明治6年の時点で、11月23日はすでに休日として扱われていたことになります。
國學院大學デジタルミュージアムの解説でも、新嘗祭は長く十一月の最後の卯の日(卯の日が3回ある月は中の卯の日)に行われてきたものの、1873年の太陽暦への切り替えで11月23日に改められたと書かれています。月によって卯の日は2回か3回巡ってくるため、表現は違っても、どちらも2回目の卯の日を指していると読み取れるでしょう。
こうした経緯をたどると、11月23日という日付は、明治の改暦の年の11月で2回目の卯の日がたまたま23日だったことに由来していることがわかります。その日付が明治、大正、昭和と受け継がれ、戦後の勤労感謝の日にまでつながっているのです。
即位後最初の新嘗祭は大嘗祭
新嘗祭とよく比べられるのが、大嘗祭です。宮内庁が令和元年10月2日に公表した資料「大嘗祭について」では、大嘗祭を「天皇が即位の後、初めて、大嘗宮において、新穀を皇祖(天照大神)及び天神地祇(すべての神々)にお供えになって、みずからもお召し上がり」になる儀式と説明しています。
つまり、新嘗祭が毎年行われる祭りであるのに対して、大嘗祭は天皇が即位して初めて行う新嘗の祭です。宮内庁の資料は、大嘗祭を「皇位継承に伴う一世に一度の重要な儀式」と位置づけていました。供える物や食べるという点は共通していますが、行われる回数と場所が異なります。
同じ資料によると、7世紀中頃までは、一代に一度行われる大嘗祭と毎年行われる新嘗祭の区別はありませんでした。第40代天武天皇の時代(在位673〜686年)に初めて両者が区別され、それ以来、大嘗祭は即位後に必ず行う皇位継承儀式とされてきたといいます。
ただし、歴代天皇の中には大嘗祭を行わなかった例もあると資料は記しています。その理由として、大嘗祭を行う前に退位したことや、相次ぐ兵乱などで経費の調達が難しかったことといった特殊な事情が挙げられていました。
場所にも違いがあります。毎年の新嘗祭が神嘉殿で行われるのに対し、大嘗祭ではそのために大嘗宮が設けられました。宮内庁の用語解説では、大嘗祭の中心的な儀式である「大嘗宮の儀」は、悠紀殿供饌(ゆきでんきょうせん)の儀と主基殿供饌(すきでんきょうせん)の儀から成ると説明されています。
宮内庁の資料によると、大嘗祭は平安京に都が定められて以来京都で行われてきましたが、平成と令和は東京の皇居東御苑で行われました。大嘗宮は大嘗祭のたびに特別に建てられる建物で、令和の大嘗宮はおよそ90メートル四方の敷地に、大小30余りの建物を設ける計画とされていました。柱には皮つきの丸太を使うなど、伝統的に質素な造りになっているそうです。
令和の大嘗祭では、悠紀殿供饌の儀が令和元年11月14日の夕方から夜にかけて、主基殿供饌の儀が翌15日の暁前に行われました。夕方と夜明け前の2回に分けて行う点は、毎年の新嘗祭と共通しています。宮内庁の資料では、これに続いて、天皇が参列者に白酒(しろき)・黒酒(くろき)などを賜る大饗の儀が11月16日と18日に行われるとされていました。
このように、新嘗祭と大嘗祭は、新穀を神に供えて自らも召し上がるという同じ形を持つ祭りです。毎年の新嘗祭が積み重なる中で、天皇の代替わりの最初の1回だけが特別に大嘗祭として行われると理解すると、2つの関係がつかみやすくなります。
なぜ勤労感謝の日に名前が変わった?
11月23日が新嘗祭から勤労感謝の日に変わったのは、戦後の祝日法の制定がきっかけです。内閣府の「祝日法制定の経緯」をもとに、その流れを見ていきます。
憲法施行後に国会で選び直した
昭和22年(1947年)5月に日本国憲法が施行されると、当時の内閣は、祝祭日も新憲法の精神に基づいて見直すのが適当だと考えました。内閣府の説明によると、政府は同年12月、政令によって祝祭日を改め、翌月の昭和23年1月から施行する案を国会に示したといいます。
これに対して国会側からは、祝祭日は国民の関心事であり、国民の生活や感情と密接につながっているので、国会で決めるのが適当だという意見が出されました。その結果、政府は政令で定める方針を撤回し、国会が法律を作ることになったのです。
審議は衆議院と参議院の文化委員会で行われました。当時の議事録では、衆議院で「委員会十二回、打合会九回、参議院文化委員会との合同打合会四回」、参議院で「委員会、打合会、懇談会、合同打合会等四十回」の審議が重ねられたとされています。政府も国会の了解を得て、新聞とラジオ放送で広く国民の意見を求め、世論調査を行って結果を国会に報告しました。
衆参の文化委員会は、それぞれの立場から別々に祝日を選び、その結果を持ち寄って、委員会や合同の打ち合わせを重ねながら法案をまとめていったといいます。祝日の一つひとつが、議論を経て選ばれたものだったことがわかります。
祝日法は、こうした半年以上にわたる審議を経て、昭和23年7月5日に成立し、同年7月20日に公布・施行されました。祝日法の第1条には、自由と平和を求めてやまない日本国民が、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、「国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日」を定めると書かれています。
参議院文化委員会の調査報告書では、祝日を選ぶ基準として10の項目が挙げられていたと、内閣府は紹介しています。その中には「新憲法の精神にのっとること」や「世論を尊重すること」と並んで、「しきたりを重んずること」も含まれていました。
ほかにも、国民全体につながりのあるものを選び、部分的なものは除くこと、文化的に意義のあるものを取り上げること、季節と配分にできるだけ注意することなどが挙げられていたそうです。秋の終わりの11月23日を、国民全体に関わる収穫と勤労の日として残したことは、こうした項目とも合っています。
古くからの収穫感謝の習わしを生かしながら、新憲法の趣旨に合う名前と意味を与えるという勤労感謝の日の成り立ちは、こうした基準とよく重なっています。新嘗祭という皇室の祭典の名前ではなく、国民全体が互いに感謝し合う日として名前が改められた背景には、国会での長い議論があったわけです。
勅令は廃止され9つの祝日に
祝日法の制定によって、戦前の休日を定めていた昭和2年勅令第25号は役目を終えます。内閣府によると、この勅令は「日本国憲法施行の際に現に効力を有する勅令の規定の効力等に関する法律」(昭和22年法律第72号)により、昭和22年12月31日かぎりで効力を失ったと考えられています。そのうえで、祝日法の附則第2項によって正式に廃止されました。
新しい祝日法で「国民の祝日」とされたのは、元日(1月1日)、成人の日(1月15日)、春分の日(春分日)、天皇誕生日(4月29日)、憲法記念日(5月3日)、こどもの日(5月5日)、秋分の日(秋分日)、文化の日(11月3日)、勤労感謝の日(11月23日)の9つでした。勤労感謝の日は、この最初の9日の1つに入っています。
この9つの日を選んだ理由について、衆議院の小川半次文化委員長は、法案の提案理由説明の中で、「新憲法の趣旨に副うべきこと」と「国民大衆をあげて容易に納得し、参加し得べきもの」の2つを基準にしたと説明しています。11月23日を残しつつ、勤労と生産、互いの感謝を祝う日としたのは、この2つの基準に沿った形だといえるでしょう。
その後、祝日法は主に議員立法による改正が重ねられ、7つの国民の祝日が順に追加されました。内閣府によると、現在は合わせて16日の国民の祝日が定められています。勤労感謝の日は、制定当初から日付も名前も変わらずに続いている祝日の1つです。
祝日法の第3条では、国民の祝日を休日とすることに加えて、国民の祝日が日曜日に当たるときは、その日の後の最も近い祝日でない日を休日とすることも定められています。11月23日が日曜日になる年は、翌24日の月曜日が振替休日になる仕組みです。
同じ第3条には、前日と翌日の両方が国民の祝日である日も休日とする規定があります。ただ、勤労感謝の日の前後には国民の祝日がないため、11月23日にこの規定が関わることはありません。
ちなみに、内閣府が公表している令和8年(2026年)の国民の祝日一覧では、勤労感謝の日は11月23日の月曜日となっています。土曜日と日曜日に続く祝日なので、2026年は11月21日から23日までが3連休です。
新嘗祭の日に神社や家庭でできること
最後に、新嘗祭や勤労感謝の日に、宮中以外の場所でどのように過ごせるのかを確認します。全国の神社での祭りと、家庭で由来に触れる方法を順に見ていきます。
全国の神社でも同じ日に祭りがある
新嘗祭は、宮中だけで行われる祭りではありません。伊勢神宮の公式サイトは、新嘗祭が毎年11月23日に宮中をはじめ、日本全国の神社で行われていると説明しています。國學院大學デジタルミュージアムの解説でも、神社本庁の規程で新嘗祭は大祭とされ、宮中の祭りと同じ時期に全国の神社で行われると書かれていました。
身近な神社でも、11月23日前後に新嘗祭が行われることがあります。日時や参列できるかどうかは神社ごとに異なるので、出かける前に各神社の案内を確認しておくのが確実です。
伊勢神宮では、2026年11月23日(月・祝)の新嘗祭の日程が公式サイトのカレンダーに掲載されています。豊受大神宮(外宮)では午前4時に大御饌(おおみけ)、午前7時に奉幣(ほうへい)、皇大神宮(内宮)では午前11時に大御饌、午後2時に奉幣が予定されていました。
伊勢神宮の説明によると、宮中の神嘉殿で新嘗祭が行われるのに合わせて、天皇陛下から勅使が遣わされ、幣帛(へいはく)が奉られます。神宮では、天照大御神をはじめとする神々に神饌を供える大御饌の儀が行われ、続いて勅使が天皇陛下の幣帛を奉る奉幣の儀が行われるという流れです。両正宮に続いて、11月29日まですべての宮社で新嘗祭が行われると案内されていました。
なお、伊勢神宮では10月の神嘗祭で新穀が奉られるため、もともと新嘗祭はありませんでした。公式サイトによれば、神宮の新嘗祭は明治5年に勅使が遣わされて行われたのが始まりだといいます。現在、神宮に勅使が遣わされるのは、祈年祭、神嘗祭、新嘗祭の3つの祭りだと説明されています。
ここに出てくる幣帛とは、神々への捧げものを指す言葉です。伊勢神宮の説明では、神宮では五色(青・黄・赤・白・黒)の絹の反物などが供えられるとされていました。勅使は天皇が遣わす使者のことで、宮中と伊勢神宮が同じ日に新嘗祭を行うことで、天皇の感謝が神宮の神々にも届けられる形になっています。
伊勢神宮は、春に豊作を祈り秋の収穫に感謝する稲作中心の営みを、日本人は2000年以上繰り返してきたと説明しています。そのうえで、天皇陛下から国民に至るまで神を祀ることは日本の大切な文化だと述べていました。全国の神社で同じ日に新嘗祭が行われることは、まさにその表れといえるでしょう。
「感謝」の意味を家族で話してみる
家庭で新嘗祭や勤労感謝の日に触れるなら、まずは祝日の趣旨を確かめてみるのがおすすめです。祝日法が定める勤労感謝の日の趣旨は「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」というもので、働くことへの敬意、生産を祝う気持ち、互いへの感謝という3つの要素が含まれています。
先に紹介した参議院文化委員会の報告書は、ここでいう感謝を「すべての人がすべての生産とすべての働きとに感謝し合う」ものだと説明していました。家族で過ごす休日に、身の回りのものを作ったり運んだりしてくれている人たちの働きについて話してみると、この祝日の趣旨に沿った過ごし方になるでしょう。
参議院文化委員会が祝日を選ぶ基準として挙げた10項目の中には、祝日を単なる休日と区別し、国民に意義のある日として広い意味の社会教育に役立たせることという項目もありました。そのためには式典や行事、食べ物、服装なども考えに入れるとされていたと、内閣府は紹介しています。祝日の過ごし方に食べ物や行事を結びつけることは、制定当時から想定されていた考え方だったといえるでしょう。
由来に目を向けるなら、新嘗祭が新しく収穫された穀物に感謝する祭りだという点を話題にするのもよい方法です。宮中では天皇陛下が新穀を神々に供え、自らも召し上がる祭りです。食卓で新米を味わいながら、春の田植えから秋の稲刈りまでの1年の流れを振り返ってみると、子どもにも新嘗祭の意味が伝わりやすくなります。
こうして見ると、11月23日には2つの方向の感謝が重なっていることに気づきます。新嘗祭は、天皇陛下が新穀を供えて神々の恵みに感謝する祭りです。一方の勤労感謝の日は、国民が互いの働きに感謝し合う日として定められました。神への感謝と人への感謝という違いを話題にしてみるのも、由来を深く知るきっかけになります。
祝日法の第1条は、国民の祝日を「美しい風習を育てつつ」定める日だとしています。11月23日には、勤労感謝の日という祝日と、新嘗祭という古くからの祭りの2つの顔があることを知っておくと、ただの休日とは違った過ごし方ができるかもしれません。
内閣府の「国民の祝日」のページには、各祝日の趣旨や制定の経緯が掲載されていて、誰でも読むことができます。宮内庁の主要祭儀一覧や伊勢神宮の公式サイトとあわせて目を通しておくと、次の11月23日を迎えるときに、新嘗祭と勤労感謝の日のつながりを自分の言葉で説明できるようになるはずです。
まとめ
最後に、新嘗祭と勤労感謝の日の関係について、11月23日を迎える前に押さえておきたい要点を5つにまとめます。
- 11月23日は祝日法の制定前から新嘗祭の休日で、昭和23年(1948年)の祝日法で「勤労感謝の日」として新たに設けられました。「新穀感謝の日」などの案もありました。
- 新嘗祭は、天皇陛下が神嘉殿で新穀を神々に供え、自らも召し上がる祭りで、宮中恒例祭典の中で最も重要なものとされています。陛下が育てた稲も供えられます。
- 新嘗祭は本来、旧暦十一月の2回目の卯の日に行われ、明治6年の太陽暦採用に伴って11月23日に固定されました。
- 即位後最初の新嘗祭は大嘗祭と呼ばれ、一世に一度の皇位継承儀式です。天武天皇の時代に毎年の新嘗祭と区別されました。
- 新嘗祭は全国の神社でも行われ、伊勢神宮では11月23日に勅使が幣帛を奉ります。勤労感謝の日の「感謝」は、すべての人の働きに互いに感謝し合うという意味で考えられていました。